月組公演『グレート・ギャツビー』【感想】

三井住友VISAカード ミュージカルグレート・ギャツビー

 -F・スコット・フィッツジェラルド作“The Great Gatsby”より-

脚本・演出/小池 修一郎

20世紀アメリカ文学の最高峰と言われる「グレート・ギャツビー」。1991年雪組で『華麗なるギャツビー』として世界初のミュージカル化に成功。2008年には月組日生劇場で再演し好評を博しました。
宝塚歌劇として3度目の上演となる今回、永遠の主人公ジェイ・ギャツビーを演じるのは、傑出した演技力を誇る月城かなと。新たなる大劇場一本立て公演として、月組の魅力溢れるキャストが、豪華なミュージカル作品をお届け致します。
名曲「朝日の昇る前に」はそのままに、更にバージョン・アップした2022年版『グレート・ギャツビー』に、ご期待ください。

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2022/greatgatsby/info.html

華麗なるギャツビー

1991年雪組公演が初演、1992年に中日劇場でも上演。
このときは併演ありの2本立て。

2008年の月組日生劇場公演で『グレート・ギャツビー』に改題。
初演の脚本に推敲・加筆、規模を拡充し一本立て作品として上演。

感想

初演も再演も見たことなくて、2009年の再演をさらっと流し見したのと、映画を昔見たことあるな、程度の前知識です。

ジェイとデイジー

うまく言葉にできないけれど、れいこちゃんのお芝居には引きつけられるというか、お芝居が上手という言葉は十分ではないなと、改めて感じました。
れいこちゃんのお芝居は演技をしているように見えないところが好きです。

回を重ねるごとに深まっていくというところとはまた別の軸で、全く同じお芝居が見られないというのも舞台の魅力の一つだなと毎度実感させられます。

うみちゃんはヒロインをずっと演じてきただけあってヒロインらしさの表現力は抜群です。
ただデイジーは、小池先生によりグレート・ギャツビータカラヅカナイズドされたことによってヒロイン化されたのであって原作のデイジーはいわゆるヒロイン像とはかけ離れた存在なので、これをどう演じられるかという興味が演目が発表されたときからありました。
うみちゃんの演じるデイジーは、ギャツビーと離れた5年間での変化が再会後のギャツビーの前では少なく、「バカな女の子」として周りに流されて年月を過ごした自分よりもルイヴィルでジェイに恋した時の自分のほうが好きなのだと感じられてうみちゃんの「永遠の恋人」の解釈ってそういうことなのかなと思いました。

デイジーは「自分を取り巻く環境」が変わってしまったと思っているけれど、それだけではなくてデイジー自身もやはり変化しているなと。
かつて「気まぐれ」であったことを語ることのできる彼女はもはや天真爛漫な少女ではないわけで。

自分の人生で最も輝かしい瞬間を彩っていた男に「現在の自分」を通してそれを見つめ愛されることが、デイジーにとっての救いだったのかな?

トム・ブキャナン

アメリカの貴族ってこんな感じなのか~というのが第一印象。
歴史のなさや教養のなさを気にしているがゆえに、その価値を否定したいのだろうなという雰囲気を感じた。

トムはデイジーもパメラすらも愛しているようには見えなくて、登場人物の中で一番理解が出来なかった。
デイジーのこともプレゼントで口説いているし、物質的なものにしか価値を感じられないという意味では、デイジーと合っているのかもしれないけれど。
トム・ブキャナンはジェイの生き方と真逆にいて、生まれながらの金持ちで、一途さの欠片もなく、絶対に自分の手は汚さない。
そこも含めて、どうしてその立場から卑怯だと他人のことを言えるのだろうというところも疑問。彼は自らの行いに矛盾を感じないのだろうか。

 

ウィルソン夫妻

マートルのじゅりちゃんもよかった。じゅりちゃんはなんでもそつなくこなすイメージだな。マートルをはじめとするフラッパーガールズとトムとの“愛人関係”に関する温度差が分かりやすかった。
マートㇽがデイジーの名を口にしてトムにはたかれる場面で、ウィルソンが出てきたら何事もなかったかのように立ち上がる時の雰囲気が、隠し事をしている本人が現れた時の”それ”でリアリティがありました。

ジョージ・ウィルソンは、トムに頭が上がらなかったり遊び歩いているマートルに強く言えなかった姿とマートルが嘘をついていることが発覚した場面やマートルがひき殺された場面での姿のギャップが大きくて衝撃的でした。るうさんの迫力あるお芝居に飲み込まれそうでした。

マートルはウィルソンを「女なんかよりも車が好き」というけれど、ウィルソンはある意味マートルのことを愛していたんだろうなとはマートルが殺されたときの様子で感じられたけれど、それはマートルが求めていた形ではなかったのかな?とかそもそもウィルソンからの愛を求めていたわけではないのかな?とか考えてみたけどあまり纏まらなかった。

さいごに

大劇場ではほとんど公演ができなかったことは残念でしたが、こうして東京公演が無事に千秋楽まで完走できて、本当によかったです。

退団者のみなさん、ご卒業おめでとうございます。

公演の終わりって、2度と会えないお別れなのでいつも寂しいです。